「結果がすべて」って本当?

 

よく、「結果がすべて」だと言われますね。

 

あなたが一生懸命に行動しているのは、

あなたが求める結果を手に入れるため、ですよね。

 

だから「結果がすべて」。

 

その意味も、わからなくもないですね。

 

でも、求める結果がいつも手に入るとは、限りませんよね。

 

「結果がすべて」だとしたら、求める結果が手に入らなかったとき、

そこには、喪失感しかない残らない気がしませんか?

 

これまで、一生懸命、ものごとに取り組んだけれども、

あなたの求める結果が手に入らなかった経験があるとしたら、

その時のことを、ちょっと振り返ってみてもらえますか?

そして、その時の感情を思い出してみて下さい。

 

私の場合だと、たとえば、受験。

 

そのとき、もし、あなたに、喪失感しか残っていなかったとしたら、

もしかすると、

あなたは「結果がすべて」を一生懸命、実践して

そこに向かう道のりの大切さに気づいてなかったかもしれません。

 

なぜか?

 

目標に向かう道のりを大事にして、楽しんでいたら

必ず、大切なものが、あなたに残っているはずだから。

そのことに気づけるはずだから。

 

先日、友人と、一つの作品を一緒に作っていました。

いいものをつくりたい、そう思う気持ちは同じです。

でも、友人が一生懸命つくってくれている箇所が

「ちょっとちがう」と感じたので、

そのように伝えました。

 

友人は、どこがちがうのかを確認しながら、

もう一度、作り直してくれました。

でも、やっぱりちょっとちがう。

友人は、試行錯誤しながら、何度も作り直してくれました。

 

そんなやりとりをしている間に、いつの間にか、

結果のことは、どうでもよくなっていました。

 

いいものを作りたいと思う気持ちは同じ。

だから、ちょっとちがうと感じたことを伝えると、

それに対して、作り直してくれる。

そして、またちがうと感じたら、それを伝え、

作り直してもらう。

 

そうして、お互いに思ったことを伝えながら

何度も作り直しているうちに、結果ではなく

そのプロセス自体が、とても尊いものに感じました。

そして、結果よりも、むしろ、そこに向かう道のりにこそ、

よろこびやしあわせがあり、意味があることを、

改めて感じました。

 

もし、あなたが

今、目標に向かって、一生懸命頑張っている真っただ中にいるなら、

ちょっと足を止めて、

「結果がすべて」で頑張っていないか、

「そこに向かう道のりを楽しんでいるか」どうか

ご自身に、一度、問いかけてみて下さい。

 

もし、あなたが

「うまくいかなかったら、どうしよう」

「結果が出なかったら、今までの努力が水の泡だ」

と思っているとしたら、

「結果がすべて」で、あなたは、ものすごく頑張っているかもしれません。

 

結果なんて誰にもわからないのです。

 

もし、あなたが求める結果を手にすることができなかったとき、

あなたは、大きな喪失感だけが残ることを選択しますか?

 

それとも、

 

結果に向かう道のり自体が楽しかった、

みんなと協力したよろこびがあった、

そこに学びがあった。

そこに意味があることを

見出せることを選択しますか?

 

もし、あなたが求める結果を手にすることができたとき、

結果だけにしあわせを見出すことを選択しますか?

 

それとも、

 

結果をよろこび、協力してくれたみんなとよろこびをわかち合うことに

しあわせを見出すことを選択しますか?

  

そして、結果にとらわれず、

そこに向かう道のりを楽しむ方が、

むしろ、結果を引き寄せる、

そんな気がします。