母の日に

 

私の母は、信念の人。

 

お父さん子だった母が、

お父さんを山の事故でなくしたのは

21歳の時。

 

その時、母は天涯孤独になった気がしたという。

 

そして、父とお見合いをして

22歳で結婚。

そのまま父の両親と同居。

 

右も左もわからないまま、

父の両親、親せき、近所の目が

母に重くのしかかった。

 

小さな田舎の町。

 

夕方過ぎて雨戸が開いていたりすると

近所でうわさされる。

 

出かける時間、帰ってきた時間

そんなこともうわさになるような

小さな田舎の町。

 

玄関のある母屋には、父の両親が住み、

私たちは、奥の家で住んでいた。

 

出かけるときは、必ず母屋を通っていかなければならない。

 

母は、ほとんど出掛けなかった。

 

奥の家で、息をひそめるように

暮らしていた。

 

私も、3歳になるくらいまで、近所の人の中には、

私の姿を見たことがなかったという人もいた。

 

父の両親、親せき、近所の目。

 

母に向けられた目に、母は耐え続けた。

 

でも、ひとたび私たち子供や家族、

そして、弱い人たち、声の小さな人たちのこととなると

母は、強かった。

 

誰も立ちたがらない矢面に

母はすすんで立った。

 

弁が立つわけではない。

 

でも、静かに穏やかに話す母には

威厳があった。

 

自分のことに向けられる目には、強くなかったが

家族や声の小さな人という守るもののためには、

母は、強かった。

そこには、母の揺るぎない信念があったからだ。

 

私の小学校は、中学受験に反対だった。

中学受験をすると言っていた友達のお母さんは

みんな学校へ呼び出された。

 

そこで、女性の教頭先生と対峙する。

 

母も、ご多聞にもれず呼び出された。

 

大げんかをして、帰ってくる友達のお母さんたち。

 

でも、母は、けんかをすることなく

 

しかも、あの教頭先生から

 

「100点満点あげられます」

 

という言葉をもらって帰ってきた。

 

家族の誰よりも

矢面に立ち、傷ついてきた母。

 

そんな時でも、

 

母は

 

いつも家族の

 

太陽であり、

 

月だった。

 

 

お母さん

 

いつもありがとう。

 

今度、瀬戸内海の風を浴びに行こう☆!