作品はすでにある

 

映画の上映会の後、

同じところで、作家と美術家の対談があった。

 

今まで、対談というのを

その場で見たことがなかった。

 

なんだか興味が湧く。

 

その会場で展示会をしている新進作家と

その人の学生時代の恩師との対談だった。

 

美術館のオープンスペースで

かつての学生と先生の

ゆる~い会話が流れる。

 

でも、二人が話している内容は

 

哲学だった。

 

映像とは何か?

 

余白という概念は、

どこから生まれるのか?

 

芸術って、こんなに哲学的に

考えられたものだったのか。

 

目の前の風景を切り取る。

 

そこには、様々な視点で捉えられ、

作品となった日常の風景があった。

 

パッと見れば、なんの変哲もない

日常の至る所にあるフツーの風景だ。

 

その時、師にあたる先生が言った。

 

「作品は、創らなければ創らないほど、

いいと思ってる」

 

すかさず、お弟子さんの作家の人も言った。

 

「そうですそうです。

僕も、作品は創らない方がいいと思ってます」

 

作家なのに?

 

美術家なのに?

 

二人の意見が一致する

 

「作品は創らない方がいい」とは

 

どういうことなのか?

 

それは、

 

「作品を創らずに表現する」

 

のだと。

 

つまり、

 

作品は創らなくても

 

日常にすでに存在していて

 

すでに表現している

 

のだという。

 

だから、

 

すでに表現しているものを

 

見つけられる「視点」があればいい。

 

すでに表現しているものを見つけて、

表現させてあげる場をつくるだけ。

 

それが作家であり、美術家なのだ。

 

私たちも

そうやって日常を見てみるのも

おもしろそうだ。