「すべて『ある』」=「〇〇〇〇〇」

 

1か月半前、「持っている」のは、特別な人だけ?

というブログを書きました。

 

 

「持っている」のは、特別な人だけ? - Hikokigumo’s blog

 

 

その時は、

「持っている」って

 何か大きな成功をしないと得られないものではなくて、

 そして、誰かから与えられるものでもなくて、

 自分で、 「持っている」って

 思うことが、大事なんじゃないかと

 書きました。

 

でも、どうしたら 「持っている」と思えるのか、

その時は、まだわかりませんでした。

 

だから実験してみますね、って書いていました。

 

 

「持っている」って「ある」と同じことだと思うんですね。

 

「ある」って言葉でいうと、

よく、「自分には、すでに全部『ある』って思うことが大事」

って言われますね。

 

そう思うことが大事っていうこともわかるし、

なぜ、それが大事なのかもわかるんです。

 

でも、「自分には、すでに全部『ある』」って思うことができない。

 

 

だって、私は、

 

できないことだらけだし、

 

先延ばしにするくせがあるし、

 

3日坊主だし、

 

人見知りは激しいし、、、

 

 

なんて、挙げればきりがないほど、

 

「自分には『ない』」の言葉が出てくるから。

 

 

そんなことはないですか?

 

 

私は、そうでした。

 

 

でもね、前回のブログを書いてから1か月半経って。

 

「ある」とは、どういうことなのかを考えてみたとき

ひとつの図式が浮かんできたんです。

 

それは、

 

 

「ある」=「ありがとう」

 

 

 

なぜか?

 

 

もし、私にすべて『ある』んだって思ったとき

 

そこには、

 

「ありがとう」

 

しかなかったから。

 

 

 

私の中にあってくれて、「ありがとう」

 

私のところへ来てくれて、「ありがとう」

 

私を愛してくれて、「ありがとう」

 

私を想ってくれて、「ありがとう」

 

私とつながってくれて、「ありがとう」

 

 

ただ、ただ

 

「ありがとう」

 

しかなかった。

 

 

 

だから。

 

 

 

私にとっては、

 

 

「ある」=「ありがとう」

 

 

 

それは、

 

「ある」って思ったら、

 

「ありがとう」しかなかったから。

 

 

では、どうしたら

「私には、すべて『ある』」って思えるのか?

 

 

その答えは、

 

もしかすると

 

「ある」=「ありがとう」

 

の図式が示す通り、

 

「ありがとう」っていっぱい思うこと。

 

 

今、そんな気がしています。