ここではひとつ

 

今回の真言密教の聖地での修業の会。

 

御朱印帳を持ってこられている方がいた。

 

そこに書かれた流れるような美しい文字と梵字に魅せられて

先程、御朱印帳を買われた方が見せてくれた。

 

神秘的な表紙で、まさに聖地で購入した特別感がある。

 

素敵だな

 

そう思った。

 

しばらくして、5人の姿が消えた。

 

ふと見ると、お守りなどを置いているところで

御朱印帳を選んでいる。

 

いくつか種類があって、聖地のご霊木を表紙に使った

御朱印帳もある。

 

魅力的だ。

 

聖地のご霊木を表紙に使った御朱印帳。

 

購入するなら、この地だろう。

 

でも、なんとなく

足が動かなかった。

 

御朱印帳を購入した人たちは、

昨晩泊まった宿坊と

昨日、訪れた塔頭をもう一度訪ね、

記帳してもらうのだと言っていた。

 

宿坊に戻る前に、

御朱印帳を購入した人は

みんなその塔頭に記帳に行ったのかと思っていたら

先程、一番先に御朱印帳を購入して、

みんなに見せてくれた人が

宿坊に戻っていた。

 

「行かなかったのですか?」

 

と聞くと、

 

「ここでは、ひとつ書いてもらったので」

 

と言う。

 

そんな考え方もあったのか。

 

標高800mにある世界遺産の宗教都市。

 

そこにあるたくさんの塔頭で、

それぞれに記帳してもらえる。

 

でも、ここではひとつ。

 

その言葉を聴いたとき、

御朱印帳を持ってもいいかな

と思った。