障子一枚越しの物語

 

「ピアノ、もったいないから

また習ったらどう?」

 

母から電話があった。

 

どうしたの?急に。

 

先日、母が近所のおばさんと話していて

そう思ったのだという。

 

「この間、〇〇ちゃんと話してたら、

 『私、〇〇ちゃんの弾くピアノ、

よう聴いてたんやで』って言っててね」

 

え?そうなの?

 

『〇〇ちゃん、ゴッドファーザー弾いてたやろ。

いつもしばらく聴いて帰ってたんや』

 

って。

 

私のピアノを聴いてくれていた人がいたなんて。

 

はっきりいって、私のピアノはうまくない。

 

小・中学校の時に習っていたけど、

あんまりうまくならなかった。

 

それでも、習い始めの子供が夢見るように

小学校低学年の時の夢は、ピアニストになること。

それが、高学年になると、漫才師に変わるのだけど(笑)。

 

でも、大学を卒業したころ、

またピアノを弾きたいと思った。

 

自分の好きな曲を自分で弾けるようになりたい

そう思って習い始めた。

 

だから、ゴッドファーザーを弾いていたのは

私が社会人になってからのこと。

 

ピアノは、母屋の玄関横の部屋にあった。

 

しかられては、ピアノに癒しを求めていた幼少時代。

 

そんな私のピアノを

障子1枚隔てた向こうの道路で

しばしの時を耳を澄ませて

聴いてくれてた人がいたなんて。

 

おばちゃんは、ふだん私の家の玄関前の道は通らない。

 

家が違う方向にあるからだ。

 

だとすると、ピアノを聴くために

来てくれてたのか。

 

その時の情景を想像したときに湧き起こる感情を

今は、どんな言葉で表現したらいいのかわからない。

 

だけど、

 

おばちゃん。

 

そのことを

 

話してくれてありがとう。