美しい世界を見るということ
美しい世界とは、喜怒哀楽のある世界だと聞いてから
ここ最近、その喜怒哀楽のある美しい世界を見ようと
なんとなく思っていた。
ただ、
美しい世界を見たい そう思うものの、
私は今まで、怒や哀の感情を見ることを
避けてきた。
そんな私が本当に
喜怒哀楽のある美しい世界を見れるのか。
自信がなかった。
そう思っていたら、
昨日、92歳の叔父が倒れたと
連絡が入った。
美しい世界を見る とは、
こういうこともちゃんと見なさいということか。
ちゃんと味わいなさいということか。
やっぱり、私には見れないかもしれない。
父と母が、週末開いている病院へ
叔父を連れていってくれた。
診察の結果、
救急を要するものではないということで、
叔父は家に帰ってきた。
ずっとアップするのをためらっていた昨日のブログ。
ブログに書いて、
本当に私はできるのか。
その自信がなかった。
元気に話してくれる叔父の声が
本当にありがたい。
叔父の元気そうな声に
少しほっとした。
ブログをアップすることを決めた。
そうしてアップしたら、
なにか覚悟のようなものができた。
喜怒哀楽のある美しい世界を見るんだって。
そう決めて、これから見ていくのだけど、
一人で見るのは、本当はまだ少しこわい。
だから、
喜怒哀楽のある美しい世界を
あなたも一緒に見てもらえたら
うれしい。