意図して行動したことは、すべて素晴らしい

 

私が、落ち着いて話せたことと、

想いが伝わった気がしなかったこととが

入り混じった複雑な気持ちのまま、

おねえさんに報告した時、

おねえさんは、私を全肯定してくれた。

 

「みっちゃん、良かったね。

おちついて話せて大成功だね😁

手ごたえなんていらないんだよ😘

おちついて話せたら、それでOKなのよん🥰🥰

 

結果は、今すぐ出るのではないからね。

ずっと先になって、良かったとわかるから、

今は、落ち着いて話せただけで素晴らしいのよね❤️❤️❤️❤️」

って。

 

あのとき、おねえさんの

この私を全肯定してくれる言葉がなかったら、

翌日、思い切って、初回開催日を決めるための

投稿をみんなに投げられていなかったかもしれない。

 

もやもやしたまま、そこで

歩みを止めてしまっていたかもしれない。

 

でも、思い切って投稿したおかげで、

私の伝えきれなかった想いを

補足してくれる人が現れ、

 

その人の投稿のおかげで、

涙声でも、泣き顔で話しても

想いが伝わるなら、

それでいいって気づけた。

 

意図して行動したことに対して、

全肯定することが

何よりも大事な理由。

 

それは、

 

歩みを止めず、前に進む勇気をくれること

 

そして、

 

自分のやったことを

 

改めて、自分自身が客観的に観ることができて

 

自分で気づけること。 

 

 

もし、何か行動した後、

否定的なフィードバックがあると

自分のした行動に対して、

自分の中に否定的なインプットが入る。

 

「ダメだ」「失敗だった」

 

そんな想いを抱きながら、

客観的に振り返るのはカンタンじゃない。

 

そして、そんなところにアドバイスをもらっても

きっと入ってこない。

 

私の場合で考えると、

 

もしもあの時おねえさんが、

 

「そっかぁ。みっちゃん、

想いが伝わった気がしなかったんだね。

でもさ、あふれる熱意が伝わるんなら

涙声でも、泣き顔で話してもいいじゃない」

 

って言ってたら、今回のような

私の根強い思い込みを外すような深い気づきはなかった。

 

これからも同じような苦い経験を積み重ねていっただろう。

 

だけど、おねえさんは

 

私のやったことにまるごとOKを出してくれて、

 

私の歩みを止めず、さらに一歩踏み出す勇気をくれて、

 

涙声で話して、想いが伝わる方がいいのか

 

落ち着いて話して、想いが伝わらなくてもいいのか

 

私が自分で気づいて、自分で選べるようにしてくれた。

 

 

おねえさんがしてくれたのは、

 

私の行動を全肯定してくれただけ。

 

でも、それだけで

 

人は、自分で気づき、自分で行動できるようになる。

 

そして、それがすべてだ。

 

 

はるみん、

 

いつも私をまるごと肯定してくれて

 

ありがとう。

 

そして、その在り方を

 

いつもどんなときも

 

見せてくれてありがとう。