何気ないいつものことが宝もの

 

昨日、降ってきたことを

急いで紙に書いたものを見せて、

先生に説明しました。

 

すると、先生が

「いいじゃない!これいいじゃない!

これで書いたらいいよ」と。

 

あまりにうれしくて、よろこんでいたら

隣で新しい本の原稿の校正をしていた学部院生の子に

笑われて。

 

何気ない いつもの

研究室のワンシーン。

 

 

朝日の照らす中、いつものように

電話で始まる朝。

 

何気ない会話。

 

こころが元気に

穏やかになる一日の始まり。

 

 

自転車で音楽を聴きながら

朝日の中を走る。

 

ときどき、お気に入りのパン屋さんに立ち寄る楽しみ。

 

何気ない いつもの通勤道。

 

 

 

何気ないこと

 

いつものこと

 

日常のちょっとした時間

 

 

だけど。。。

 

 

そんな

 

何気ない

 

いつもの

 

ちょっとした時間の

 

一瞬一瞬が

 

宝ものに感じる。

 

 

 

あなたの

 

何気ない

 

いつもの

 

ちょっとした時間で

 

楽しい

 

うれしい

 

ワクワクする

 

穏やかになる

 

満たされる

 

のは、どんな時間ですか? 

 

 

 

ともすると

 

すっと通ってしまう

 

何気ないこと

 

いつものこと

 

ささいなこと

 

小さなことを

 

大切にしていきたい。

 

改めて

 

そう思った朝でした。

 

 

降ってきた!!

 

昨日、友人に論文の序章を見てもらいました。

 

その前日は、友人に見てもらえる原稿が書けるかどうか

わからなかった。

間に合わないかもしれない、

そんな気持ちが半分。

 

でも、どうしても友人にフィードバックをもらいたくて

30点で、えいやっ!で送りました。

 

30点のわかりにくい序章。

 

友人に申し訳ないなと思いながら。

 

友人は時間をとってフィードバックをくれました。

 

友人のフィードバックを聞くうちに

 

何かが足りない、

 

そう思いました。

 

何だろう?

 

何が足りないんだろう?

 

 

そう考えること、4時間。

 

降ってきました!!

 

足りなかった視点が。

 

 

あなたと話すと、いつも進む。

 

そう思っていた。

 

やっぱりそうだ。

 

昨日のあなたの時間を

 

本当にありがとう。

 

そして、

 

やっぱり。

 

いつも、ありがとう。

 

 

 

私の大切な時間

 

博士論文の締め切りまで、

あと1週間。

 

絶対間に合わせるけど、

どのレベルで間に合わせられるかは

今は不明。

 

今は論文一本。

 

私の人生の中で

特別な時間を過ごしていることに気づく。

 

私の論文を友人が読んでフィードバックしてくれたり

 

後輩から真夜中の3時にメッセージが来て相談にのったり

 

私も先に卒業した同期に相談にのってもらったり

 

「今まで、こんなに来たことないよね」と言われながらも

先生にフィードバックをもらったり

 

先生のお弟子先生にもフィードバックをもらったり

 

学部院生の子に統計ソフトの使い方を教えてもらったり

 

音声の書き起こしの会社を通して

時間の大切さを改めて知ったり

 

常に友人に話すことで気持ちが柔らかくなったり

 

いつも励ましてもらったり

 

こんなにたくさんの人に応援してもらって

 

応援し合って

 

濃密な時間を過ごしている今

 

ひとつひとつが

 

すごく貴重で大切な時間。

 

どんな小さなことも

 

ひとつひとつの出来事が

 

すごく愛おしい。

 

ひとつひとつを

 

私の大切な記憶に刻んで

 

あと1週間、走り切りたい

 

そう思います。

 

 

なぜ、記憶できるの?

 

さっき友人が、お客さんのこと、

話してくれました。

 

あまりご自身の過去のことが記憶にないようで、

エピソードがご本人から出てこないんだと。

 

あまり自分の過去のことが記憶にない。

 

エピソードが本人から出てこない。

 

あれ?

 

なんだろう?

 

どっかに覚えのある感覚だ。

 

話を聴いているうちに、

私の中にある感覚が

呼び覚まされてくるのがわかりました。

 

私が、大学に入り、社会人になって

新しい友人たちと過ごす中で

感じていたこと。

 

友人たちと話しているとき、

友人たちは、昔の出来事から、この間あった出来事まで

すごく面白おかしく話すのです。

 

「あのときさー、ひとみちゃんこんなことしたよねー!」

 

「そうそう、で、ちほさんがこんなふうになっちゃったんだよねー(笑)」

 

あたかも、ついさっき目の前で起こったことのように

面白おかしく話す友人たち。

 

あるとき、ふと、彼女たちの記憶の中に鮮明に残っている出来事が

私の記憶の中には、ぼんやりとしか残っていないことに気づきました。

 

そうだったよね、面白かったよね、

 

と、友人たちの話で、

 

面白かったこと、楽しかったことを

 

反芻している私。 

 

同時に

 

あれ?そうだったっけ?

 

と細かな記憶がないこともありました。

 

私は、彼女たちと同じようにその場にいて

同じようにその出来事を体験していたのに。

 

なぜだろう?

 

なぜ、私は、友人たちより

 

出来事の記憶が薄いのだろう?

 

しばらく、そんなことを

考えている時期がありました。

 

答えは見つからないまま、

そして、いつしか

そんなことを考えていたことも忘れていました。

 

ところが、今朝、友人のお客さんの話を聴いていて

私のあのときの感覚が、身体の奥底で

ふと目を覚ましたのです。

 

その感覚をたどる中で

気づいたこと。

 

記憶とは、

 

自分の「感情」にもとづいて

 

記憶されるものだ

 

ということ。

 

うれしい、楽しい、好き、

かなしい、つらい、腹が立つ。

 

そういう自分の「感情」を

しっかりと認識するから

その「感情」が湧き起こった

出来事が記憶される。

 

自分の心が動くから、記憶に残る。

 

それは、とりもなおさず

自分の「感情」の結びついていない出来事は

記憶に残らない、ということ。

 

いつも

「人の感情」を気にして

「自分の感情」をすっとばしてきた私が 

20歳の頃に、感じていたこと。

 

 

なぜ、私は、

 

出来事の記憶が薄いのだろう?

 

 

そのときの問いに

初めて答えが出た朝でした。

 

 

そして今、私がこうして

自分の「感情」に目を向けて、

宝物の日々を過ごせるようになったこと。

 

こうして気づけるようになったこと。

 

それは、友人が

私に、自分の「感情」を

自由に出すことを許してくれたから。

 

いえ、

むしろ、出てこない私の感情を

表に引き出してくれたから。

 

なぜなら、

出会ってすぐに、友人は

「私の課題は、凍りついた感情を溶かすこと、かもしれない」

と気づいてくれていたから。

 

今、私がこうして

友人のお客さんのことが少し理解できるようになったのも

あなたが、私の感情を自由に出せるようにしてくれたから。

 

そして、私の感情をほどいてくれたから。

 

あらためて。

 

いつも本当にありがとう。

 

 

 

論文はプロセス思考

 

「プロセスが目的」

 

昨日、論文に先生のフィードバックを頂きました。

 

私と他の学生の指導を終えてから

 

Facebookにつぶやきが。

 

そこに書かれていた言葉に、目からウロコでした。

 

それは、

 

「論文は、結果思考でいる限り書けない。

 

プロセス思考で書くこと。

 

そしてプロセス自体が目的なのだ」と。

 

また忘れていた。

 

論文を楽しみながら書くこと。

 

あと10日。

 

楽しみながら、論文を書きます。

博士号取得のために

 

本日、ゼミの先生から、新刊を頂きました。

 

「規範的に考えるってどういうことですか?」

 

と質問をすると、ここにあるから、と。

 

そのとき、表紙に言葉を頂きました。

 

「博士号取得のために」

 

ありがとうございます。

 

あと10日と少し。

 

やり切ります。

 

 

一緒に頑張ろうね

 

すごく集中した4時間。

 

4時間でこれだけできるんだったら、

 

昨日もっとできたはずなのに。。。

 

そう思いながら

 

うとうとし始めた朝4時。

 

私にSPSSを教えてくれた

 

同じゼミの中国人留学生の子のSkypeが立ち上がった。

 

みんな頑張ってるんだなぁ。

 

あと少し。

 

一緒に頑張ろうね。