母の想い

 

今日は、春の陽気を含んだ爽やかな風が

吹きそよいだ気持ちのいい一日。

 

夕方、ジョギングコースの途中にある

神社の前で、神社のお詣りから出てきた人と

これからお詣りしようと、自転車を停めていた人が

出会いざまに

「あら!?」と。

 

「うちも神頼みなんですよ~」

 

二人のお母さんが、元気よく笑う。

 

子供が受験なのかもしれない。

 

先ほど来たお母さんが、神前で

丁寧に手を合わせている。

 

望む学校に合格しますように

 

 

 

 

 

私のぶれない軸がわかった日

 

先日の一行目先生の講座の宿題をやっていたとき、

先月から私の中で起こった問いで、詰まってしまった。

 

その問いとは、

 

「私は、今、私が持っているものの価値を

本当にわかっているのだろうか?」

 

なんとなく、

自分では、わかっている「つもり」に

なっている気がしていた。

 

「じゃぁ、どうしたらわかるのだろう?」

 

その答えが出ていなかった。

 

私にとっては、とても重要な問いだった。

 

今朝、何かヒントがもらえたら、

そう思って尋ねた。

 

その人は、

今日一日をどんなふうに過ごしたのか、

そして、あー幸せだなぁ

って、しみじみ思った時間のことを

教えてくれました。

 

そのしあわせが、

なぜか私にもしみじみと感じられて

涙がとめどなくあふれました。

 

そして、

 

「『あーこれ幸せだなぁ嬉しいなぁ』

 

自分にとってのその嬉しいシーンが

1個だけわかっていたら

もう十分でいいんじゃないかな」と。

 

あぁ、

こういうことなんだ。

 

なんて表現していいのかわからないけど、

 

今、私が持っているものの価値が何なのか、

 

全身から湧き上がってくる感じがした。

 

うまく言葉にはできないけど、

 

私が持っているものの価値を、しあわせを

 

初めて、本当に感じることができた。

 

これが、私のぶれない軸なんだと

初めてわかった。

 

なぜ、その人の言葉は

いつもこんなにも響くのだろう。

 

ひとつだけわかっているのは、

その人の言葉で、

目の前に情景を、ありありと見ることができること。

その感情までも、しみじみと感じられること。

 

今日の一日を

 

本当にありがとう。 

 

 

 

 

なりたい私

 

先日、私が受け取った魔法のおまじないと言葉。

 

その中で、一番最後にあったメッセージが

私の目をひいた。

 

その言葉は、私の中にはなかった言葉だった。

 

でも、何か惹きつけられた。

 

何度となくその言葉を眺めていると

 

もしかしたら。。。

 

私は

 

この言葉をずっと言いたかったのかもしれない

 

そんな気がした。

 

私の気づかなかった想いを

私の中になかった言葉を

その人は、私の代わりに言ってくれた。

 

今年は、そう言える私でありたいな。

 

ちゃんと一番うしろには、

ハートのマークをつけて、ね☆

 

 

 

 

作品はすでにある

 

映画の上映会の後、

同じところで、作家と美術家の対談があった。

 

今まで、対談というのを

その場で見たことがなかった。

 

なんだか興味が湧く。

 

その会場で展示会をしている新進作家と

その人の学生時代の恩師との対談だった。

 

美術館のオープンスペースで

かつての学生と先生の

ゆる~い会話が流れる。

 

でも、二人が話している内容は

 

哲学だった。

 

映像とは何か?

 

余白という概念は、

どこから生まれるのか?

 

芸術って、こんなに哲学的に

考えられたものだったのか。

 

目の前の風景を切り取る。

 

そこには、様々な視点で捉えられ、

作品となった日常の風景があった。

 

パッと見れば、なんの変哲もない

日常の至る所にあるフツーの風景だ。

 

その時、師にあたる先生が言った。

 

「作品は、創らなければ創らないほど、

いいと思ってる」

 

すかさず、お弟子さんの作家の人も言った。

 

「そうですそうです。

僕も、作品は創らない方がいいと思ってます」

 

作家なのに?

 

美術家なのに?

 

二人の意見が一致する

 

「作品は創らない方がいい」とは

 

どういうことなのか?

 

それは、

 

「作品を創らずに表現する」

 

のだと。

 

つまり、

 

作品は創らなくても

 

日常にすでに存在していて

 

すでに表現している

 

のだという。

 

だから、

 

すでに表現しているものを

 

見つけられる「視点」があればいい。

 

すでに表現しているものを見つけて、

表現させてあげる場をつくるだけ。

 

それが作家であり、美術家なのだ。

 

私たちも

そうやって日常を見てみるのも

おもしろそうだ。 

 

 

 

 

 

今日の出会い

 

先日、二宮金次郎の伝記を読んだ。

 

目が覚めた気がした。

 

薪を背負いながら

寸暇を惜しんで

学ぶことをあきらめなかった少年。

 

でも、成人した後のことは知らなかった。

 

600以上の村の復興のために生涯を賭したことも。

 

そしたら、ふと目にした

新聞の広告欄に、

二宮金次郎」上映会、と。

 

ちょうど、上映している間に見に行ける日がある。

 

それが今日だった。

 

2020年を駆け上がる前に

この映画に出会えて

本当によかった。

 

「身の丈に合った己のこころ」

 

これで

自分を見失わず

どんなことにも

チャレンジしていける。

 

小学生のときに、

最初から最後まで

泣きっぱなしだった

「象物語」。

 

今日の映画は、

「象物語」に次ぐ

涙の数かもしれない。

 

今日の出会いをくれたこと

 

本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

本当にありがとうございます

 

本当に私のことを想ってくれている人は誰なのか。

 

何も言わないけれど

 

根気よく私を導いてくれた先生

 

時には厳しいことを言ってくれる友達、家族

 

ようやく気づきました。

 

本当に本当にありがとうございます。

 

そして、

 

私が不安でいっぱいだった時に

 

おまじないと言葉を贈ってくれた大切な人。

 

あのとき、あの言葉が

 

なかったら、

 

今の私はここにはいなかった。

 

いつも、いつも

 

本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

お誕生日おめでとう☆

 

今日は、母の誕生日。

 

今年の誕生日プレゼントは、

「牛ちゃんになりたい☆」という母を

牧草地に連れていくことにしたので、

今日は、電話で

「誕生日おめでとう」

って言おうと思って電話した。

 

もしもし

 

と私がいうやいなや

 

「ありがとう」

 

と言う母。

 

なに?

 

「今日は、ティーカップ贈ってくれたでしょ」

 

あ、それ弟からだよ。

 

「あ、そうなの!?」

 

母の声が急に華やぐ。

 

「だって、送り主も送り先も

お母さんの名前になってたから

あなたが送ってくれたのかと思って。

お父さんに、あの子、ティーカップ贈ってくれたけど、

ティーポットの方がよかったなぁ、って言ってたの」

 

違うよ~。

一昨日、どれがいいかなって

まあくんから電話かかってきて、

まあくんが選んで決めたティーカップだよ。

 

「そうなの!?

なんかね~、カップ全体が淡いクリーム色でね、

こんな色、今まで見たことないよ~☆」

 

。。。

 

あの、お母さま。

 

ひとこと言ってもいいですか。

 

さっきとずいぶん言うことが違いませんか( ̄▽ ̄)☆

 

私が送ったと思ったときは、

ティーポットの方がよかった」

なんて、ぶ~たれておきながら、

弟からだとわかった途端、

「こんな色、今までみたことないよ~☆」って(笑)。

 

母は、弟が大好きだ。

 

私が言うのもなんだけど、

よくできたやさしい弟なのだ。

 

たとえば、母と私が電話ですごくけんかしたとき。

 

もう~!!!

 

プリプリしながら

弟に電話する。

 

「もうっ!!!お母さん、こんなこと言うんやで~っ!!!」

 

すると、弟が

 

「さっき、お母さん

 

『お姉ちゃんに、こんなこと言うたった♪』って

 

うれしそうに電話かけてきてたで~」

 

って、ゲラゲラ笑う。

 

あ、っそ( ̄▽ ̄)☆

 

思わず私も笑ってしまう。

 

プリプリしてたのもどこへやら。

 

そういうわけで、我が家の平和は

弟によって保たれていることが多い(笑)。

 

いつもありがとう^^☆

 

そして、

 

お母さん、お誕生日おめでとう^^♡