初めての議長経験は?

 

7月に上司が私を議長に指名した会議の当日を迎えた。

 

開始30分前から、そわそわしてテレビをつないでいた私に

同じく早めに来ていたパリの同僚が、テレビ越しに私に声をかけた。

いつになく、今の日本の気候とか、いろいろ聴いてくる。

 

でも、そうやって雑談しているうちに、

さっきまでそわそわしていたのが、

落ち着いてくるのがわかった。

 

彼らしいやさしさだ。

 

次第に、各地のテレビの前に人が集まってくる。

 

いよいよ会議が始まった。

 

今日は、2か月ぶりの2時間の会議で、登壇者は8人。

 

会議を進めていく中で、登壇者一人ひとりが

さりげない心遣いをしてくれていることに気づいた。

 

人によって違うささいな行動、言葉に込められたさりげない心遣い。

 

そんな一人一人の思いやりの行動や言葉を感じているうちに、

会議が始まったときの私のぎこちなさは、どこかへ行ってしまった。

 

会議の後、電話で話した上司は

 

「よくやったな。カンタンだっただろ」

 

と言った。

 

会議を引っ張っていかないと、そう思っていたのが

登壇者たちのさりげない心遣いに支えられ、

登壇者たちと一緒につくった会議になった。

 

改めて、

こんなしあわせな経験をさせてくれた

上司に感謝の気持ちを伝えた。

 

指名されたときは、あんなに上司にぶ~たれてたのにね☆

 

やっぱり、私はこの同僚たちと一緒に働くのが好きなんだ

 

改めて、

上司や同僚たちと一緒に仕事ができることに感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最高のタイミング、最強の言葉

 

先日の一行目先生のブログ。

 

3年前の先生のノートに、

丁寧で大きな字で書いていた

ある「言葉」を紹介してくれていた。

 

先生自身、その言葉を見た瞬間、

しばし時間が止まっていたという「言葉」。

 

3年後の今、思わず瞼がウルってきたという「言葉」。

 

気持ちがしゃんとしたという「言葉」。

 

私も、その言葉を見た瞬間、

ローソンの駐車場で、

熱いものがこみ上げてきました。

 

「今のあなたにこの言葉が

タイミングかどうかは分からないけど。」

 

先生、

最高のタイミングで、

最強の言葉でした。

 

そして、

そこに添えられていた

音と映像が

その言葉を私に染み渡らせてくれました。

 

先生、いつも本当にありがとう。

 

最高の9月を☆

 

 

 

  

 

 

 

申し込みの決め手は?

 

「自分は自分で良いんだなと思えて、嬉しかったです」

 

昨日、お料理を教えてもらいたいと思った

私の決め手を紹介して下さった先生のFacebook

お友達の方々からコメントが寄せられていた。

 

その中で

 

「全て〇〇さんにつながる

〇〇さんだいすき!が溢れていますね✨」

 

というコメントに、

 

先生が答えていた言葉。

 

「ありがとうございます♡

自分は自分で良いんだなと思えて、嬉しかったです」

 

そんな風に思ってくれてたんだ


今から10月の開講が楽しみでなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇〇さんじゃなきゃダメな理由

 

10月から、お友達のお友達で、

2か月前に知り合った方から

お料理を教えてもらうことにした私。

 

先日、申し込みの案内を頂いた時に、

 

「1つお伺いしたいのですが、

お申込みくださった決め手は何ですか?」

 

 と書いて下さっていました。

 

いつもの一行目先生の型を使って

書き出してみたら、

11コの理由がサッと出てきました。

 

その11コには、その方のたくさんのステキだなぁ☆って

思うことがあって。

 

そうして、そのままお送りすると、

とてもよろこんで下さって、

今日、Facebookで紹介してくれていました。

 

その投稿に、お友達の方々が寄せていたコメントの中に

ピクッとこころが動いた言葉がありました。

 

「『〇〇さんじゃなきゃダメな理由』がたくさん♡

うれしいですね☆」

 

そうなんだ。

 

彼女だから、彼女だからこそ、

是非 習いたいと思った。

 

私が送った11コの理由は、

 

確かに

 

『〇〇さんじゃなきゃダメな理由』

 

だった。

 

そう思う方から学べることは

とてもしあわせなことだと思う。

 

一行目先生もそう。

 

そんなご縁を大切にしていきたい。

 

 

 

 

 

 

話してみること。話し合い続けること。

 

昨日、以前の上司から久しぶりに連絡があった。

 

秋に開催される予定の本部の会議に参加するのか?

というメール。

 

今回は、担当官の会議って聞いてますから

 

って言うと、「所長に参加できるように

聞いてみたらいいんじゃないか」って。

 

 

今の上司のひとり前の上司は、

いつ怒るかわからない人だった。

 

上司の機嫌次第で、

仕事が動かなくなることはしょっちゅうだった。

 

困るのは、どこに発火点があるかわからないことだった。

 

なにかのきっかけで急に怒鳴ったり、

仕事をシャットアウトしたりした。

 

私は、直属の上司には、

なんでも言うようにしている。

同じチームで働いていると思うから。

 

私の言葉を採用するかしないかは、

上司の判断に任せる。

 

一つの選択肢として、

私の感じたことや考えをそのまま伝える。

 

でも質問をすると、反対意見だと捉える上司だった。

 

「私の言うことに、疑問があるのか!」

 

そう言って、よく怒った。

  

それでも、機嫌がいい時は、おもしろい人だった。

 

そんなこんなで3年間は、なんとかやっていた。

 

同じチームでやっていけると

わずかな希望を持っていたから。

 

でも4年目、私から笑うことが消えた。

 

私は所長にアドバイスを求めた。

 

同じように悩んでいた所長は

パリにいる総務長に状況を話すようにと

私にアドバイスした。

 

すぐに、所長、総務長、上司と私の4人で

電話会議が開かれ、話し合いの場がつくられた。

 

そのとき、所長や総務長のように

客観的に話を聴いてくれる人がいる場で話ができることが、

どれだけ私をホッとさせてくれたかわからない。

 

1回目の話し合いで、上司は終始すごんだ。

そして、2回目の話し合いの場に、

上司は出席しなかった。

 

そういうわけで、

話し合いは、何かを解決したわけではなかった。

 

それでも、この現状を他の人に知ってもらえたことで

一人で抱えていた心の重しがどれだけ軽くなったかわからない。

 

不思議なことに、

私が上司のことを総務長に相談したことを知った

同じオフィスの同僚やパリの同僚たちは、

「大変だったと思うよ。自分もこんな経験したから」

と、今まで聞いたことのない上司との苦い経験を

自分から、話してくれるようになった。

 

ある同僚は、

 

「僕たちは、彼に目をつけられてプロジェクトに影響が出たら

とてもじゃないけど、やってられない。

パリに相談するのは、君にしかできなかったことだよ」

 

と言った。

 

私がずっと一人で抱えていたのは、なんだったんだろう。

 

ほどなくして、新しく着任した所長ともめた上司は、

パリに異動になった。

 

その間も私は、上司に対して心を閉ざし、

笑うことはできなくなっていた。

 

パリへの異動が近づいてきたある日、

仕事の引継ぎの話をした後、ふいに上司が言った。

 

「笑ってくれないか」

 

一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 

だけどもう一度、

 

「頼むから、笑ってくれないか」

 

いつものすごみを効かせている上司の顔ではなかった。

 

なぜ上司がそんなことを言ったのかわからない。

 

ただ、私はもう上司の前では、

笑うことはできなくなっていた。

 

 

上司が異動してから、

ときどきメールをくれるようになった。

 

おもしろいニュースや日本に関する新聞記事、

こうして有用な情報も送ってくれる。

 

研修で、パリのオフィスに行った時には、

今の上司と一緒に映った写真を送ってきたりもした。

 

パリに異動した上司は

1年後、再びジュネーブに異動した。

 

しばらくして、私の上司のポストを

日本に作るかどうか、本部で話し合いになったときに

上司が日本に戻りたがっていることを、他の同僚から聴いた。

 

今までで日本が一番いい職場だった、と言っていたという。

 

上司がそんな風に思っていたなんて、まるで知らなかった。

 

 

話してみること。

 

所長や総務長に話してみて、

私の心の重しは、以前とくらべものにならないくらいに軽くなった。

 

同僚たちと話してみると、

同じ悩みを持つことがわかって、

サポートしてくれるようになり、ずっと心強くなった。

 

ただ、肝心の上司の心は、

ずっと後になるまで知らなかった。

 

話し合い続けること。

 

あのとき、話し合い続けることを選んでいれば

違っていたのかもしれない。

 

今では、お互いに冗談も言いながら笑って話す。

 

今度の会議、所長に話してみようかと思う。

 

 

 

 

 

枝から枝へ

 

庭のジャカランダの木。

 

すくすく伸びて、電線にまで届くようになっていた。

 

剪定しないといけないということで

弟が背の高い梯子に乗って、

電線に伸びる枝をのこぎりで切り始めた。

 

電線に到達していたジャカランダの枝が

バサリバサリと剪定され、空いた枝のすき間から

太陽の光がまぶしく照りつける。

 

やわらかくしなやかなジャカランダの枝。

 

電線からはなれている枝も、

剪定しておく必要があるのだけど、

やわらかい枝に上るのは、心許ない。

 

特に体重の気になる弟。

 

それでも枝によじ登ろうとしていると、

 

近所のおじさんが、のこぎり片手に

 

「あれ切るんか?」

 

って来てくれた。

 

昔、大工仕事をしていたことのあるそのおじさんは

ヒョイヒョイと枝に登ると、見る間に高いところにある

あちこちの枝を剪定してくれた。

 

電線に当たりそうな気になる枝も

スッキリと剪定された。

 

おじさん、声をかけてくれてありがとう☆

 

おかげで、台風が近づく前に準備もできました。

 

 

 

 

 

 

「一緒にする」ということ

 

手術後、ほとんど動かなくなった叔母の右手。

 

普段は、父や母が見てくれている。

 

私が日帰りで行くときは、

片道4時間、滞在時間5時間くらい。

 

行ったときは、少しでも快適に過ごしてもらいたくて

掃除や料理、リストアップしたものを

限られた時間でやる。

 

そんなとき、 

叔父は、だいたい「それ、わたしがやるから」

と言って、自分でやろうとする。

 

だけど、記憶がぼんやりとしてきているなか、

最近は、朝ご飯を食べた後、2時間でも3時間でも

新聞をじっと見て、動こうとしないという叔父。

 

「ありがとう。大丈夫、大丈夫。

私がやるから、ゆっくりしてて」

 

そう言うと、

 「そうかい。すまんなぁ」

と言うのだが、

数分後には、また同じ会話をしている。

 

そんなやりとりを何度もしながら、

リストアップしたことを全部やって

帰ろうとしたとき、ふと

なんとなくさみしそうな叔父の様子に気づいた。

 

帰り道、車を運転しながら、

なんでだろう?と考えていたら

ハッと気づいた。

 

あ!

せっかく叔父が、

自分でやろう、手伝おうと言ってくれているのに、

私は、全部一人でやってしまっていたんだ。

 

これからは、

叔父が言ってくれたときは、

一緒にやろう。

 

そう思うようになって、

前回は、叔父に枝豆を枝からはずしてもらい、

両端を切ってもらうのをお願いした。

 

叔父と一緒に台所に立つ。

 

「あんたも料理できるなぁ」

 

と、叔母が茶々を入れながら、うれしそうに見ている。

 

そのあと叔父は、

美味しくできた枝豆を

一人でほとんど食べたと聞いた。

 

今日は、部屋に掃除機をかけているときに

叔父がやって来た。

 

小さい頃から、掃除機かけがあまり得意ではなくて、

「四角い部屋を丸く掃除する」

と、よく注意されていた私。

 

「私がやるから」の叔父の言葉に、

「じゃぁ、お願いします♫」の二つ返事で

掃除機を叔父に手渡した。

 

居間にいる叔父を、台所から見ると、

几帳面な叔父は、隅々まで掃除機をかけてくれている。

 

叔父がきれいに掃除機をかけてくれた後の

雑巾がけは、楽ちんだった。

 

そう叔父に伝えると

とってもうれしそうだった。

 

その後、叔父は

自分からすすんで、洗濯物を取り入れてくれたり、

お寺さんの来る前に、仏間にクーラーを入れてくれてたり。

 

いつもは、叔母が何度もお願いして

ようやく重い腰をあげてやってくれるようなことも、

いつの間にか自分からすすんでやってくれていて、

叔母がうれしそうに驚いていた。

 

一緒にするということ。

 

一緒にすると、楽しい。

 

お互いに苦手なことが、カンタンにできる。

 

その楽しさが、周りの人もしあわせにする。

 

叔父から、教えてもらいました。