できない自分を見せる

昨日は、ものごとを始めるときに大事な

「理想の姿」を最初に見ることをお伝えしました。

 

今日は、あなたが目標とする日に「理想の姿」に出会うために、

大事なこと、お伝えしたいと思います。

 

「理想の姿」を共有して、始めた学びの時間。

初めてすることは、わからないことだらけです。

でも、とにかくよく見て、よく観察して

素直にやってみる。

 

そのとき、まず、できない自分に出会います。

カッコわるい自分に出会います。

 

ここで、「できない自分を見せて、フィードバックをもらえるか」が

「理想の姿」に出会えるかどうかを分けます。

 

なぜか?

 

必ず通る道だから。

 

これまで、私は、できない自分を人に見せることができませんでした。

小学校のとき、何かできないことがあると、次の授業までに、

できるようになるまで、何度も練習していきました。

先生や友達にできない自分を見せることに、強い抵抗があったからです。

 

それは、今までずっと続いていました。

次第に、小学校の時と違って、自分で練習しても、できないことが増えてきました。

そして、行き詰ってしまう。

 

 「みんな最初は、ヘタれ。。。

でも、子供たちは、その姿を隠さなかった。

ここがポイント」 

 

 友人から、この言葉をもらったときに、

ここが私の関門かもしれない、そう思いました。

 

わずか数分のできない自分を見せてフィードバックをもらうまでに

3時間かかりました。

でも、一度やってみると、できない自分を見せてフィードバックをもらうことが

どれだけ自分の成長を加速させてくれるかを体感しました。

 

「できない自分を見せて、フィードバックをもらう」

 

これがなければ、あの日「理想の姿」に出会うことはなかったと、改めて思います。

 

ものごとを達成する、それは

 

できないー>できる  ということ。

 

「できる」理想の姿に出会うために、

 

「できない自分を見せて、フィードバックをもらう」。

 

逆に言うと、これができれば、ものごとを達成できる

 

そう思います。

 

 

 

 

 

 

 

「理想の姿」を見る

できるようになりたい、と思って始めたこと、学び始めたこと。

それが決められた時間内で「できる」ようになるためには、何が必要でしょう?

 

まず始めにすること。

 

それは、なぜやりたいと思ったのかを明確にして、「理想の姿」を共有すること。

 

なぜか?

 

あなたが望む「できる」ことを可能にしてくれるから。

 

先日より、新しいことを学び始めました。

始めるとき、友人は「なぜ、これをしたいと思ったのか?」

そして、「どんな風になったらうれしいか?」を聞いてくれました。

 

私は、やりたいと思った理由、そして、「理想の姿」を思い浮かべ、伝えました。

そして、一定の期間を経て、その日を迎えたとき、

私は、「理想の姿」に出会うことができたのです。

 

短期間にも関わらず、なぜ、私は、「理想の姿」に出会えたのか?

 

目標の日までの学びの時間、それは「理想の姿」から逆算して作られていました。

 

最初に「理想の姿」を共有したことで、そのゴールを目指して

教えてくれる側も教えてもらう側も、目標の日までの時間を使うことができたのです。

 

ものごとを始めたら、まず、最初にすること。

 

それは、「理想の姿」を見て、共有すること。

 

それが、学びの最速の道のりかもしれません。

 

 

自分を疑うことから始めるな

「いつも『自分は正しい』から始めろ」

 

ある案件に、しばらく行き詰っていたときのこと。

それを見ていた上司が、私に言った言葉です。

 

「いつも『自分は正しい』から始めろ。

自分を疑うことから始めるな。

自分で墓穴を掘っているのと同じだ」と。

 

その言葉で、スッと前に進めました。

 

なぜか?

 

私を動けなくしていたものは、

まさに「自分への疑い」だったと気づいたから。

 

他のなにものも、阻んではいなかった。

私のかすかな「自分への疑い」。

それだけが、私の行動を引き留めていたと気づいたのです。

 

ものごとの始まり。

 

それは

自分を疑うことから始めるのではなく、

いつも「自分は正しい」から始める。

 

なにも難しいことはないのです。

 

いつも「自分は正しい」から始めさえすれば。

 

雨の中のあたたかさ

先日、雨の中で、ちいさなあったかさに出会いました。

 

横断歩道を渡ろうとしたときのこと。ふと視線を感じました。

見ると、小学校3,4年生くらいの傘をさした元気な男の子。

おばあちゃんらしき人と一緒です。

 

横断歩道を先に歩きながら、何度も振り返ります。

すると途中から、コクっとお辞儀をしてくれます。

振り返るたびに、お辞儀をしてくれる男の子。

おばあちゃんも不思議そうに振り返ります。

 

男の子とおばあちゃんにお辞儀をしながら、

次の横断歩道を渡ります。

横断歩道を渡ったところで、男の子とおばあちゃんは右の道へ。

私はまっすぐ。

元気にずいぶん先を歩いていた男の子は、振り返って最後にまたコクっと。

手を振ると、男の子も手を振り返してくれました。 

 

雨は、時々あったかさを運んできてくれるようです。

 

1年の中で、雨の多いこの梅雨の時期。

 

雨の日には、少し周りを見わたしてみてはいかがでしょうか?

 

ちいさなあったかさを見つけられるかもしれません。

 

「確認する」がもつあたたかさとは?

「一つ一つ確認したらいいですよ」

 

先日、友人が言った言葉です。

 

私がこれまで「確認する」に持っていた文字のイメージは、

角張った、 杓子定規な感じ、でした。

 

ところが、友人の言う「確認する」には、あったかさがありました。

「確認する」の言葉に初めて感じたあったかさ。

同じ言葉なのに、この違いってどこから来るんだろう?

不思議でした。

  

そこで、「確認する」の意味を調べてみました。

 

1.はっきり認めること。また、そうであることをはっきりたしかめること。


2 特定の事実や法律関係の存否について争いや疑いのあるとき、これを判断・認定する行為。当選者の決定など。

 

概ね、私が思っていた意味と同じです。

 

でも、何かピンとこない、ことないですか?

 

1.はっきり認めること。また、そうであることをはっきりたしかめること。

 

って、実際どうするんでしょう?

 

そこで、文字を分解してみることにしました。

 

「確認する」は、「確かめる」と「認める」の文字に分けられますよね。

 

ちょうど「認める」については、先日、記事にしました。

http://hikokigumo.hatenablog.com/entry/2017/05/26/000000

 

辞書に書いていた「認める」の意味は、

 

1.目に留める。「ある」ことが確かだと見てとる

2.見て判断する

3.間違いないと判断する

4.差し支えないとして、許可する

5.見どころがあるものとして、目に留める

 

じゃ、この「認める」ってことを「確かめる」ことなんじゃないかな?

 

そしたら「確かめる」ってどうやってするんだろう?って考えた時に

これまでの私の頭の中には、

 

1.自分で調べて確かめる

 

しかなかったことに気づきました。

 

「確かめる」もう一つの方法。

 

それは、友人が教えてくれた

 

2.相手と一緒に確かめる

 

ということ。

 

そこには、あったかさがありました。

 

「一緒に創っていく」イメージです。

 

そして、一つ気づきました。

 

「認める」って、全部 「自分」でしてることなんですよね。

 

1.目に留める。「ある」ことが確かだと見てとる

2.見て判断する

3.間違いないと判断する

4.差し支えないとして、許可する

5.見どころがあるものとして、目に留める

 

見てとる、判断する、許可する、目に留める、って全部 自分でしていること。

 

「認める」ことを「確かめる」

 

つまり、「確認する」の意味に書かれていた「はっきりと認める」ということは、

自分でした「認める」ということを、さらに「相手と一緒に確かめる」

ことなんだ。

 

「確認する」ということは、自分で完結する「認める」と違って

「相手と一緒に創る」ことなんだ。

 

ものごとを確実にするには、「相手と一緒に創る」ことなんだ。

 

友人の言う「確認する」に感じた、あったかさと「一緒に創る」イメージ。

 

改めて、深く味わうことができました。

 

「一つ一つ確認する」

大事にしたい言葉です。

 

「楽にできる」ところを見つける

あなたは、ものごとが「できる」ようになるために

必要なことって何だと思われますか?

 

たとえば

新しいことを学び始めた

新しいスポーツを始めた

 

そのスポーツや学びを楽しめるように

早く「できる」ようになりたいですよね。

 

ものごとが「できる」ようになるために必要なこと

 

それは、

 

「楽にできる」ところを見つけること

 

なぜか?

 

楽じゃないと、長続きしないから。

 

先日の歌のレッスン中のこと。

ワンフレーズの歌い直し。

先生がくれた一言で、声が楽に出せました。

すると、「ね、楽に出せたら、全然違うでしょ?」と。

 

確かにこのワンフレーズは、先生の言う通りに意識したら、楽に声が出せた。

でも、「楽に」声を出すって実際どうするんだろう?

先生に聞いてみました。

 

すると、「楽に」歌えないと、長い曲なんて歌えない、と。

 

コンクールが終わって、

「しっかり歌えました」っていう子は、だいたい落ちていて、

「なんとなく歌えました」っていう子は、合格しているのだそう。

 

「だから、コンクールを受ける子には、

とにかく『楽にできる』ところを必死になって探して!って言うの。」と。

 

「楽にできる」ところを見つけるのに、決まった方法はなく、

自分で見つけるしかない。

なぜなら、この声は、先生の声でもなく、人の声でもない、

自分の声だから。

でも、先生は、アドバイスはできる。

 

「だから、レッスンで、同じこと言われていやだなぁと思うかもしれないけど、

何度も同じことを言うのよ。

そうすることで、『本人が楽にできるところを自分で見つけられる』と私は思ってる」と。

 

この2,3日、「楽に」という言葉が、キーワードになっていた私に

先生の言葉は、とても響きました。

 

ものごとが「できる」ようになる道のりで、必ず見つけなければならない宝箱の鍵

 

それは、自分が「楽にできる」ところを見つけること

 

なのではないかと。

 

もし、あなたが

「できる」ようになる道のりの途中にいるなら

 

まずは、「楽にできる」ところを見つける

 

に、集中してみるといいかもしれません。

いいわるいではなく

ものごとを学んでいるとき、

 

たとえば、あなたが

ゴルフを習い始めたとします。

ボールが打てる=いい

ボールが打てない=わるい

だと思いがちになりませんか?

 

ライティングだと、

文章が書ける=いい

文章が書けない=わるい

だと感じませんか?

 

私は、そう感じていました。

 

ところが、先日友人と話していると

私が学んでいるライティングで

文章が書けなくてダメだと思っていることを

「いいわるいじゃない」と言うのです。

 

自分が書けなくてわるいと思っていることを、

いいわるいじゃないと言ってくれたこと、

うれしかったと同時に、とても新鮮でした。

 

なぜ友人は、

「いいわるいじゃない」と言うのでしょうか?

 

 

書ける=学び

書けない=学びじゃない

と考えると、生きることが苦しい と言います。

 

 

「書けない」ことがネガティブなことじゃなくて、

書けないからこそ、書けるように何をしてきたのかが重要なんだ と。

 

確かに、友人が言うように、学びって、書けない→書けるようになる

できない→できるようになる、ですよね。

 

でも、いざ自分がその状況にいると、書けない、できない

にとらわれてしまうんですね。

 

自分では気づけないことがあること、そして

そんな自分では気づけないことを気づかせてくれる友人の存在。

 

もし、あなたが

今 困っているとしたら

あなたの友達に話してみませんか?

 

あなたの困ってること

あっという間に解決するかもしれません。