神様が用意してくれているよろこびのサプライズ

 

 

「だますよりだまされるほうがいい」

 

という言葉があります。

 

でも、だまされるのは、痛くていやですよね。

 

では、質問です。

 

「だます」「だまされる」のそもそもの始まりは何でしょう?

 

それは、「うそ」。

 

  

20代の頃、初めて

だまされた、と感じたことがあります。

 

それから、どうやって人のことを信じたらいいのか

わかりませんでした。

 

それまで、だまされる

ということを感じたことがなかった、

考えたこともありませんでした。

 

そこから、私は「うそ」に対して敏感になりました。

 

そして、再び「信じる」力を取り戻した。

 

どうやって?

 

新しい職場に入り、そこでたくさんの

「うそ」に出会いました。

 

それまで出会ったことのない「うそ」の数々。

 

私は、そうした「うそ」を目にするたびに、

真正面からぶつかっていました。

 

「うそ」に対して、

とても敏感になっていたのだと思います。

 

そんな「うそ」に対して真正面からぶつかって

生傷の絶えない私を見て、上司が

 

「すべての『うそ』に向き合うことはできない。

 

戦うべき『うそ』を選べ。」と。

 

 

それから、私は

 

つかれてもいい「うそ」と

 

つかれてはいけない「うそ」を

 

見分けるようになりました。

 

 

いろんな「うそ」に出会い、

体にも不調が出ました。

 

常に、気を張っていました。

 

気を許すことができなくなっていました。

 

 

それでも、どこかで

「これは、私に必要な経験なんだ」

と思っていました。

 

 

そして、再び

「信じる」ことができるようになった。

 

「信じる」ことがエネルギーの源だった私が、

 

「信じる」ことができなくなった時期を経て

 

再び自分の「信じる」力を取り戻した。

 

そこには、迷いのない「信じる」力と、

そして、それまで感じたことのないよろこびがありました。

 

神様は、私のエネルギーの源だった「信じる」力を

取り戻すために、必要な経験を与えてくれた。

 

そして、その後にちゃんと「信じる」ことの素晴らしさを

経験させてくれる。

 

 

もし、あなたが

 

「どうして、こんな目に合わないといけないのだろう」

 

「どうして、こんなにつらい想いをしないといけないのだろう」

 

と思っているなら、

 

それは、神様が

 

これまでにあなたが味わったことのない

 

よろこびのサプライズを用意して

 

あなたを待っている証拠。

 

 

 

そして、あなたが、

 

そのよろこびを手にするのは

 

もうすぐです。