大切なことは、日常にあること

 

新入社員の頃、同期の中で、

ちょっとしたお昼休みの話題になっていた質問があった。

 

「もしも、あなたが子供に、

これが人生で一番大切だよっていう言葉を

漢字一字で残すとしたら、どんな漢字?」

 

という質問。

 

友達が、

「私は『情』かなぁって言ったら、

うちのお母さんは『誠』だって言ってたなぁ」

 

わ~、なんか深いなぁ。

私も、お母さんに聞いてみよう。

 

そう思って、家に帰った私は、

母が、何が一番人生で大切だって言ってくれるのか

ちょっとワクワクしていた。

 

「ねぇ、お母さん。

もしも、子供に、人生でこれが一番大切だよっていうものを

漢字1字で残すとしたら、なあに?」

 

漢字1字で?

 

うん。

 

「しょく」

 

え?「しょく」ってなに?

どんな漢字?

 

「食」

 

「食」!?

 

拍子抜けした。

 

期待していた答えと違って

正直、ちょっとがっかりだった。

 

なぜなら、

私は、母から、何か特別な、

哲学的な意味の漢字が出てくるのを期待していたからだ。

 

それでも、あんまり考えてる風でもなく、即答だったから、

質問の意味がちゃんと伝わってないかもしれない、

そう思って、

 

「他にはない?

さとちゃんは、『情』って言ってたし、

さとちゃんのお母さんは『誠』って言ってたって」

 

「あ~、そういうことね。」

 

そうそう、そういうことなのよ。

わかってくれた?

 

私は、母の次の言葉を、ワクワクしながら待った。

 

「でも、お母さんは、やっぱり『食』だわ」

 

え~!?そうなの~!?

 

がっくり。。。

 

でも、どう考えても

『食』以外には考えられない、という母に

その理由を聴いてみた。

 

「『食』は、生きることそのもの。

『食』は、全ての元だから。」

 

それはそうかもしれないけど。。

 

母が「食」を大切にしているのは、わかっていた。

 

栄養に気を配り、

何でも手作りで、旬の食材を取り入れた

母のいろんな美味しい料理は

私たち家族の楽しみだった。

 

母の美味しい料理は、毎日の食卓にあり、

母の大切にしている「食」は、私の日常にあった。

 

「食」が大切なのは、

私にとって、あたりまえのことだったのだ。

 

母の特別な言葉を期待していた私は、

しゅん、となって引き下がった。

 

 

ふと、そんなことを思い出した。

 

先日、学び始めた

陰陽の食材をまるごと頂くお料理。

 

そんな食事に替えて数日したある日、

 

「自分を信じる力を取り戻してきているかも」

 

そう感じました。

 

不思議ですが、

根拠のない自分を信じる力が

体の奥底で、ふつふつと湧いている感じです。

 

なぜだろう?と考えたとき、

 

母が一番大切にしているもの、

「食」を思い出したのです。

 

当時、母から、「特別」な言葉を期待していた私は、

一番大切にしていることが、

日常に「あたりまえにある」ということが、どれだけすごいことか、

どれだけしあわせなことか、今、ようやく気づきました。

 

「一番大切なことは、これだよ」

 

そう言って、特別な言葉を手渡されても、

それが日常になければ、子供は

実感を持って、受け取ることはできないでしょう。

 

私のように、「食」が大切なんだなって、頭の片隅にあったぐらいでも、

「食」を大切にする日常があったから、頭では忘れていても

身体がちゃんと覚えていた。

 

「食」を大切にする生活を始めて、

根拠のない自分を信じる力が

身体の奥底に、ふつふつと湧いてくるのを感じるのは

そのためなのだと思う。

 

 

大切なことは、日常にあること

 

 

そんな毎日をいつもつくってくれる母に

 

心から

 

ありがとう。